赤松義則・赤松満祐・赤松教康・赤松政則
赤松義則・1358年-正平13年/延文3年-1427年10月11日-応永34年9月21日は、室町時代前期の守護大名。
父は赤松則祐。
母は佐々木道誉の娘。
官位は上総介。
左近将監。大膳大夫。左京大夫。兵部少輔。
1371年、父・則祐の死により家督を継ぐ。
1391年、明徳の乱では弟の赤松満則と共に幕府軍の一翼を担い、山名氏清討伐で大いに武功を挙げた。
これにより将軍・足利義満から翌年、山名義里領であった美作国を与えられた。さらに侍所所司に任じられ、幕政にも参与している。
この義則の時代に、赤松氏は播磨国・備前国、そして美作を領する有力守護大名に発展したのである。
天授6年・1380年には弥勒寺本堂を。
1427年9月21日、70歳で死去。
法号は竜徳寺延齢性松。
後を子の赤松満祐が継いだ。
ちなみに義則は、身体が極端に小さかったため、赤松三尺入道と称された。
赤松満祐赤松満祐・弘和元年/永徳元年-1381年-嘉吉元年9月10日-1441年9月25日は、室町時代の播磨・美作・備前の守護大名である。
父は赤松則祐。
母は佐々木道誉の娘。
官位は上総介。
左近将監。大膳大夫。左京大夫。兵部少輔。
1371年、父・則祐の死により家督を継ぐ。
1391年、明徳の乱では弟の赤松満則と共に幕府軍の一翼を担い、山名氏清討伐で大いに武功を挙げた。
これにより将軍・足利義満から翌年、山名義里領であった美作国を与えられた。さらに侍所所司に任じられ、幕政にも参与している。
この義則の時代に、赤松氏は播磨国・備前国、そして美作を領する有力守護大名に発展したのである。
天授6年・1380年には弥勒寺本堂を。
1427年9月21日、70歳で死去。
法号は竜徳寺延齢性松。
後を子の赤松満祐が継いだ。
ちなみに義則は、身体が極端に小さかったため、赤松三尺入道と称された。
赤松満祐赤松満祐・弘和元年/永徳元年-1381年-嘉吉元年9月10日-1441年9月25日は、室町時代の播磨・美作・備前の守護大名である。
update:2010年03月10日
